革心4/小説「新・人間革命」


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月2日(土)より転載】

 

【革心4)


 「日中共同声明」のなかには、両国の平和友好関係を強固にし、発展させるため、平和友好条約の締結に向けて交渉することも記された。条約が締結されれば、それは、法的拘束力をもつ。予備交渉は、一九七四年(昭和四十九年)十一月から始まった。

 山本伸一が、周恩来総理と会ったのは、翌十二月の五日であった。総理は病床にあったが、医師の制止を押し切って会見したのだ。

 総理は、「中日友好は私たちの共通の願望です。共に努力していきましょう」と述べたあと、気迫にあふれた声で言った。

 「中日平和友好条約の早期締結を希望します」--その言葉は、遺言のように、伸一の胸に響いた。万代にわたる友好への願いを、託された思いがした。彼は、一民間人の立場で、「日中平和友好条約」の実現に全力を尽くそうと、深く、硬く、強く、心に誓った。

 翌年一月、伸一はアメリカで、キッシンジャー国務長官と会見。「日中平和友好条約」について意見を求め、賛同の意思を確認した。そして、訪米中の大平正芳蔵相と日本大使館で会った際に、その旨を伝えた。

 この年四月、伸一は三回目の中国訪問を果たし、鄧小平副総理と会談した。ここでも平和友好条約について、意見を交換した。

 「日中共同声明」には、アジア・太平洋地域において覇権を確立しようとするいかなる国の試みにも反対することが謳われていた。日本には、この反覇権条項を、平和友好条約からは除くべきであるとの意見があった。覇権を確立しようとする国とはソ連を指し、これを盛り込めば、ソ連を敵視することになり、日ソ関係が険悪化するというのだ。

 平和友好条約は、この問題をめぐって難航し続けていた。事実、ソ連は、反覇権条項は除くよう、強硬に訴えていたのである。

 伸一は、忌憚なく、反覇権条項についての中国の見解を、鄧小平に尋ねた。

 どんなに複雑そうに思える問題も、勇気をもって、胸襟を開いた率直な対話を交わしていくならば、解決の糸口が見いだせるものだ。                                    

 

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