革心5/小説「新・人間革命」


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月4日(月)より転載】

 

【革心5)

 トウ小平は、文化大革命では「走資派」(資本主義に進む反革命分子)と批判され、失脚した。軟禁・監禁生活もさせられた。しかし、周恩来総理が陰で彼を庇護し、時を待って、政府の中央に引き戻したのだ。

 山本伸一は、一九七四年(昭和四十九年)十二月、復活を果たしたトウ副総理と、初めて会見した。

 そして、翌年四月の第三次訪中では、同副総理と二度目の会談を行った。これには、日本の外務省のアジア局長も同席していた。

 伸一の質問に、副総理は語った。

 ――反覇権条項は、既に「日中共同声明」に謳われている。反覇権は、ソ連だけに向けられたものではなく、中国も、日本も、さらには、いかなる国家・集団であれ、この地域で覇権を求めることに反対するものである。

 また、中国とソ連の関係についての質問では、中ソの人民同士は良好な関係を保っているとしたうえで、「ソ連が中国に侵攻してくるという心配はしていない」と述べた。

 伸一は、日本と中国が平和友好条約を結ぶうえで懸案となる点を、さまざまな角度から率直に質問していった。これによって、中国の見解が確認されたのである。

 翌七六年(同五十一年)一月、世界に激震が走った。周恩来総理が死去したのだ。党を牛耳る江青ら「四人組」は、トウ小平に攻勢をかけ、再び彼は失脚する。

 しかし、同年九月、毛沢東主席が死去すると、「四人組」は逮捕され、文化大革命は収束に向かっていく。

 この文化大革命は、六〇年代半ばから、中国内の階級闘争として始まったが、政治の実権を握る劉少奇トウ小平らを、資本主義の走狗として追い落とす権力闘争であった。

 文化大革命の急先鋒となったのが、青少年を組織した「紅衛兵」である。旧思想、旧文化、旧風俗、旧習慣の打破を掲げ、攻撃の矛先は知識人等に向けられ、多くの死者も出た。

 教条主義と権力闘争が結びつき、嵐のような災禍の時代が続いたのである。

 


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