革心3/小説「新・人間革命」



【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月1日(金)より転載】

 

【革心3)


 山本伸一が提言した、日中国交正常化、「日中平和友好条約」の締結に、中国の周恩来総理は注目した。                                   

 また、代議士を務め、日中両国の関係改善に生涯を懸けてこた松村謙三氏は、この提言の実現を願い、伸一が中国を訪問し、周総理と会見することを強く勧めた。

 しかし、伸一は、“国交回復の推進は、基本的には政治の次元の問題である。したがって宗教者の私が、今、訪中すべきではない”と考え、自分が創立した公明党の訪中を提案したのである。                                 

 一九七〇年(昭和四十五年)春、日中覚書貿易の交渉の後見役として訪中した松村は、伸一のこと、また、公明党のことを、周総理に伝えた。

 翌七一年(昭和四十六年)六月、公明党の訪中が実現し、周総理との会見が行われる。総理は、国交正常化の条件を示した。それを盛り込んだ共同声明が、公明党訪中代表団と中日友好協会代表団との間で作成され、七月二日に調印が行われたのである。国交正常化への突破口が開かれたのだ。

 この共同声明は、「復交五原則」と呼ばれ、その後の政府間交渉の道標となっていった。

 それから間もない七月半ば、ニクソン米大統領は、テレビ放送で、翌年五月までに訪中する計画があることを発表。既に大統領補佐官のキッシンジャーが訪中し、周総理と会見していたことを明らかにした。歴史の流れは、大きく変わり始めていたのだ。

 日中両国の政府間交渉は進み、遂に、七二年(同四十七年)九月二十九日、日本の田中角栄首相、大平正芳外相と、中国の周恩来総理、姫鵬飛外相によって、北京で「日中共同声明」が調印されたのである。

 そこでは、日中国交正常化をはじめ、中国の対日賠償請求の放棄、平和五原則による友好関係の確立などが謳われていた。

 伸一の提言は、現実のものとなったのだ。

 声を発するのだ! 行動を起こすのだ! 

 そこから変革への回転が開始する。

 

■小説『新・人間革命』

 語句の解説

◎ 平和五原則

 一九五四年、周恩来総理とインドのネルー首相との会談で確認された外交原則。
(1)領土・主権の尊重(2)相互不侵略(3)内政不干渉(4)平等互恵(5)平和共存の五つ。
 これを基礎に、翌五五年のバンドン会議「平和十原則」が採択された。

 

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