大道64/小説「新・人間革命」


【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 4月25日(土)より転載】

 

【大道64)


 山本伸一は、一九七八年(昭和五十三年)八月二十二日午後、列車で長野県松本市に向かっていた。車中、彼は、「長野の歌」:の作詞に余念がなかった。翌二十三日に、松本平和会館で開催される長野広布二十周年の記念幹部会で、長野県創価学会の新しい出発を祝し、県歌を発表したかったのである。

 午後五時、松本平和会館に到着した伸一は、直ちに、居合わせた同志と激励の語らいを開始した。また、記念行事のために、会館の一隅に設置されたテントの救護室にも足を運び、役員一人ひとりに声をかけ、労をねぎらった。

 さらに、六時半からは、功労者らとの懇談会に臨み、引き続き、駆けつけてきた新潟の代表とも懇談した。

 彼は、多くの同志と、記念のカメラに収まった。ピアノを弾いて励ましもした。

 その間隙を縫うようにして、「長野の歌」の作詞を続けたのである。

 夜更けて、一応、歌詞は出来上がった。作曲を担当してくれることになっている、小学校の音楽教諭の青年に、それを渡してもらい、その後も、推敲を重ねた。

 伸一は、妥協はしたくはなかった。“もう、これでよい”と思った瞬間に、最高のものを残そうとする向上心は消えうせる。

 “まだ、なすべきことはある!断じて妥協などすまい!ここに、全精魂を注ぎ尽くすのだ!”ーーその内なる精神の闘争があってこそ、新しい歴史が創られていく。

 翌朝、彼は、何ヶ所かの歌詞の直しを作曲担当者に伝えた。曲も出来上がった。

 「信濃混声合唱団」のメンバーが集まって、夕刻から行われる記念幹部会での発表に向けて、練習が始まった。

 伸一は、午前中、会館を出て、個人指導に回り、午後は、会館を訪れた人たちと、懇談をもった。相手の話に耳を傾け、心を射貫く納得と蘇生の言葉を紡いでの語らいである。

 人間は、「臨終只今にあり」(御書一三三七頁)との一念に立つ時、最高の勇気を、最大の力を発揮していくことができるのだ。

 


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